耳をすませばがつまらない・恥ずかしいと言われる理由は?原作者は誰なの?

「耳をすませば」。

つまらないとか恥ずかしいとか、結構厳しい意見もある作品ですね。

なんとなくわかるような気もします。

 

確かにジブリ作品としては、地味な方ですね。

ナウシカやラピュタが大好きな人にとっては、世界が変わるような壮大な物語ではなく、大きな事件は何も起こらない、中学生の日常に見えてしまって、イメージが違うかもしれません。

 

「耳をすませば」はほんとにつまらない?恥ずかしい?そう感じてしまう理由を追及してみましょう。

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耳をすませばってつまらない・恥ずかしいと言われる理由

耳をすませばのストーリーを要約します。

 

本が大好きな月島雫は中学三年生。

高校受験を控えて、夢と自分がどうしたいのかの狭間で揺れ動く日々。そんな中で、バイオリン職人を目指す天沢誠司と出会います。

誠司のおじいさん司朗にも出会い、自分の夢に向き合ってみようとする雫と誠司の青春物語です。

 

「耳をすませば」を観ていると、自分の中学時代を思い出します。

中学時代、思春期ですね。

思春期って、懐かしい思いがいっぱいなのですが、同時に、自分がとても揺れ動いていた時なので、結構恥ずかしい思い出もたくさんあります。

 

自分に自信がなかったり回りの人の意見に振り回されたり、将来への不安を感じたりもします。

些細なことが気になったり、小さな失敗をひとつしただけでおちこんでしまったりします。

 

雫が真面目に悩めば悩むほど、大丈夫みんな悩んでるんだよ、あなただけじゃないよと言いたくなります。

茶化して笑ってごまかしたいくらい恥ずかしいかもしれません。

 

また時代背景が、昭和から平成に変わる時期です。

この頃はまだ、携帯もスマホもない、電話は家族が話を聞けるところにあります。

好きな人の話は、深夜に友人とこそこそ話したり、学校で話したりするくらい。

 

好きな人がいても、なんとなく好意を匂わす程度のことしかできず、告白するなら直接伝えるか、手紙を渡すか、どちらにしてもかなりの勇気を持って行動するしかありません。

軽く伝えて様子をみよう、なんてことはできません。

その「好き」のストレートな表し方が、観ていて恥ずかしく感じるかもしれないですね。

 

初恋とか淡い好意って、そもそも恥ずかしいものなのです。

特に、その思春期を過ぎて、現実の恋を経験したら、子どもだった頃の恋を思い出すことが恥ずかしいです。

 

そして主人公の雫はとても素直な文学少女です。

自分の気持ちを表現するのに、物語に例えたり、ちょっと大げさな言葉づかいをしたりします。

雫を囲むクラスメート達、原田夕子も杉村も、ちょっとひねた誠司も、結局は夢見る年代なのです。

それを見ている私たちは、ちょっと気恥ずかしい気持ちになりますね。

「耳をすませば」は、そのストレートな思いが、大人になった人たちには、まぶしくかわいく感じながらも、心の奥の自分を思い出してしまうパワーのある作品とも言えますね。

 

でも私は、気恥ずかしくはなりますが、なんだか懐かしくて優しい気持ちになれます。

夢を持ったり、夢が破れたり、がんばれと応援したくなったり、いろいろな気持ちを感じさせてくれます。

大きな事件は起こりませんが、日常生活を積み重ねていけるということは、幸せなことだと思います。

 

ただそんな感想を持つこと自体が、私はもう若くはないという証なのかもしれません。

宮崎駿監督のねらい

「耳をすませば」の原作は、柊あおいさんという漫画家の作品です。

たまたま見かけたこの作品を宮崎駿監督が映画にしたいと希望したようです。

映画の監督は近藤善文監督で、この作品が初監督作品ですが、この方は早くで亡くなっています。

近藤監督が生きていたら、ジブリ作品の幅はもっと広がっただろうと言われています。

 

宮崎駿監督は脚本を担当しています。脚本を書くにあたって、宮崎駿監督は設定を大きく変えています。

 

まず、主人公は中学一年生だったのを中学三年生にしています。

更に誠司は絵描き志望だったのを、バイオリン職人志望にしています。

 

その理由は、「タイムリミットのある物語にしたかったから」と説明しています。

中学三年生と言えば、高校受験を控えて、漠然と将来の道を決めなければいけない時期です。

誠司の場合は、バイオリン職人の夢を叶えるためには、海外に留学しなければなりません。

誠司については夢は決まっていて、家族の賛成を得るための努力をしているところですが。

 

雫の場合は、もっと漠然としていて、とりあえず高校に行かなくちゃ、でも自分は何をしたいのだろうと、揺れ動いている状態です。

物語を書きたいという気持ちもありますが、その気持ちを持て余したあげくに、ひたすら読書に没頭している感じもします。

 

宮崎駿監督は、子どもから大人に向かう思春期を、タイムリミットわ、作ることでよりリアルに表現したかったのかな、などと想像する私です。

 

まとめ

「耳をすませば」は、日常を舞台にした「どこにも見つからないけれど何かが動く瞬間」を描く、すてきなファンタジーだと私は思います。

私が好きな昔の漫画に「青春とは、色とりどりのランプがついたくらいトンネルを歩くようなもの」という言葉が出てきます。

誰もが通る青春のトンネルですが「耳をすませば」のトンネルは、キラキラと光る原石に光をあてながら歩く物語なのかもしれません。

 

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